画像の出所:https://www.fides.org/en/news/76139-ASIA_JAPAN_Manga_comics_bring_the_stories_of_hidden_Christians_to_life
2025年3月14日、東京(エージェンシア・フィデス) – いかにして、この数世代前の信仰の証の宝を新しい世代に伝えることができるのか?そのために、漫画が用いられています。物語は、日本で起こった出来事を語っています。
世界中でますます多くの読者に読まれている漫画は、若者や大人を魅了し続けています。特異なスーパーヒーローの冒険に加え、独特のフォーマットで描かれた漫画は、迫害の時代にあってもキリストへの信仰を貫いた実在の男女の物語、すなわち日本の「隠れクリスチャン」をも語るようになっています。この現象は、17世紀に始まり、キリスト教が禁止され、すべての宣教師が追放された時点にさかのぼります。
神父や教会がいない中で、日本のカトリック信徒は自らを組織しました。村の長がコミュニティを導き、典礼のカレンダーに従って宗教的儀式を制定し、聖書を守りました。教理教育者が子供たちを教え、洗礼の公式を知る者が初めての聖 Sacramentを執り行いました。使者が家々を訪れて、日曜日、キリスト教の祝祭日、断食の日時を知らせました。
その漫画の絵は、漫画家の高浜寛さんによるもので、彼女は3月17日から20日まで、ローマとルッカで開かれる会議の一環として、イタリアでプロジェクトを発表する予定です。この会議は、日本大使館とルッカの大司教区が主催し、440周年を記念するものです。この記念は、1585年3月に日本からの使節がローマに初めて到着し、教皇に正式に受け入れられたことに関連しています。
使節団の名前は、当時の日本の暦による創設された日付、すなわち天正時代の10年に由来しています。若い日本の代表者をヨーロッパに送るというアイデアは、1573年から極東で宣教活動を行っていたイタリアのイエズス会司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって考案されました。彼は、当時日本で最大のクリスチャン大名家の3つから2人の少年を個人的に選びました。大名とは、10世紀から明治時代の mid-19 世紀まで、広大な世襲地所を持ち、日本の大部分を支配していた権力者のことです。
彼らには他の2名の若い貴族が加わり、イエズス会の司祭ディオゴ・デ・メスキータも同行しました。彼らの旅は、1582年から1590年までの8年にわたり続きました。ヴァリニャーノは、この旅を通じて、当時のヨーロッパ教会に日本を知ってもらい、国についての特定のステレオタイプに対抗したかったのです。
高浜さんの物語も、この歴史に関わっています。彼女は、1591年にイエズス会が日本の司祭を育成するために設立した学校がある天草出身です。そこは、天正使節団の帰国後、若者たちが学び続けた場所でもあり、グーテンベルクの印刷機も導入されました。彼らのおかげで、日本で初めてのキリスト教テーマの書籍が印刷されたのです。
天草地域は、長崎と並んで、250年間、迫害から逃れたクリスチャンが集まる場所となりました。神父が不在にもかかわらず、信者たちはキリストへの信仰を貫き続けました。現在、これらの場所はUNESCOの世界遺産に登録されています。高浜さんは、自宅のアーカイブで昔のクリスチャン迫害に関する古文書を偶然発見しました。彼女は、これらの文書を読解する方法を研究し、書かれていない口伝の伝承を注意深く集めています。こうした活動が、地域の「隠れクリスチャン」の歴史に関する研究を継続する基礎となっています。
これらの研究を基にした作品「獅子とボタン」は、実際にあった物語からインスパイアを受けたものです。この物語は、1638年に抑圧されたクリスチャン農民の反乱を描いています。この反乱は、クリスチャンの侍アマクサ・シロによって指導され、血なまぐさい鎮圧が行われました。しかし、歴史的研究を漫画にどのように翻訳するのか?この質問は、3月17日と18日にローマ(教皇グレゴリオ大学と教皇サレジオ大学)で行う高浜さんの講演で取り上げられます。そして3月20日にルッカ大司教公邸で開催されます。